<特集>名プレイヤーの球児だった頃〜
「アラフォーでのメジャー挑戦!リスクよりも”夢”を選んだ〜
高橋健(たかはし けん)1969年4月16日
甲子園の常連。強豪横浜高校出身
小学生の頃は体力をつける為、スイミングスクールに通って
いた。
小中学生の頃は主に投手として活躍
地元戸塚中学から横浜高校に進学
3年生の夏は高い能力の選手が揃っていたが二回戦で向上
高校に敗北。
のちに阪神に入団したエースの高井一がいたため外野手兼投手
として活躍する。
打順も上位ではなく下位を打つことが多かった。
恩師は渡辺監督になる。
小学生の頃にぜんそくを発症。以後、ぜんそくの発作により
野球のプレイにたびたび影響を及ぼしている。
発症それほど頻繁に出るものではない。
横浜高校時代は息があがりながら試合で投げていたこともあっ
たようだ。
プロに入ってヒドかった時には約2週間登板できず、1軍にいな
がら別メニューの調整fを余儀なくされた。
拓殖大学進学後、3年生まで野手として活躍、4年生で投手に
専念する。
東都リーグ2部ながら通算17本塁打を残したバッティングセ
ンスは非凡なもの。
拓殖大学から社会人のTOYOTA自動車に入社
94年のドラフトで広島東洋カープから4位で指名を受けプロ
入りを果たす。
~~~高橋健選手のココから学ぼう~~~
幼少期から野球センスに非凡なものを感じさせるが、引退を
に至るまで驚くような成績を残してきたわけではない。
40歳を越えてメジャーリーグにトライして活躍する姿は多く
同世代に感動と勇気を与えて話題になる。
センスだけではプロの世界では行きていけないという現実を
高橋健は痛いほどよく知っているのではないか。
センス、努力はもちろん、多くのファンから愛される人間性
こそが高橋健をプロ野球選手として支え続けた真骨頂だろう。
年齢などのリスクよりも「夢」を自ら選択した男儀も当然な
がら見落とせない
引退セレモニーも盛大に行われた。
広島カープ高橋健投手 投球フォーム
広島カープ高橋建投手 現役最後の登板
広島カープ高橋建投手引退セレモニー
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